波瀾万丈家族!^_^

前向きに生きる、私の家族の話と日常です😊

両親の話。

はじめまして。
ブログ初心者のアラサー主婦です。
結婚したことで、自分自身の将来に向けて、
大切なことを忘れないよう、
言い聞かせようと思い、
この家族のブログを始めました。
読んでいる方にも何か感じてもらえたら嬉しいなと思い書きはじめています。



私は、最初、父・母と3人暮らし。
同じマンションの下の階に曾祖母、祖母、叔父が暮らしていました。



私は、7歳の頃、両親が1度目の離婚しています。
が、友人の家でクリスマスパーティーをした時、友人が家族で
楽しんでいるところを見て(特にお父さんにべったりしているのを見て)
突然涙が溢れてきてしまい、「パパしかパパてこれからも呼ばない!
パパ・・パパ・・・」と泣きじゃくってしまい、
また1年後に、私の為に再婚しました。
その頃の事はよく覚えているのですが、子どもだった私には、こんなに好きなのに
なぜ別れるの?と全く分からず、精神的に不安定になっていたのを覚えています。


でも、結局、私が、17歳の時、2度目の離婚。
高校2年生の冬でした。


大きな原因は、父親の過度な飲酒。アルコール依存症になり、
酒に溺れ、朝も起きれず、母が父の会社に欠勤の連絡をするという非常事態です。
更には、会社の飲み会で倒れて、救急車騒ぎになったり、
路上で倒れて、鼻の骨を折り、大量出血・・・。
しまいには、腕の骨を折り複雑骨折・・・。
私と母は、ひやひやしながら、病院にいくたびに疲れきっていました。
鼻に大きなギブスをつけて、通学中の女子高校生に指をさされて、笑われているのを見て
恥ずかしくて、情けなくてたまらなかったです。


仕事も首になり無職となった為、友人を家に呼ぶと、父が酔っ払って、
リビングに寝ているので、
「お父さんていつも家にいるね!」と言われていました。
別れる間際、父は、家の壁に穴をあけたり、母を殴ろうとしたり、
離婚を阻止しようとしましたが、覚悟を決めた母は、借金をしながら
離婚裁判をし、離婚が成立しました。


今、思えば、1度目の離婚の時、あの時、私の精神年齢がもう少し大人であれば、
泣くこともなく、母の背中を押せたのだと思います。
きっと母の人生も、考え方も、変わっていたのかなとか当時考えていました・・・。


私は父には、離婚後も、学生時代、2ヶ月に1度は会いに行きました。
父のことを根から嫌いになれず、理解しているはずなのに、
授業中も隠れて泣き、母と2人暮らしを始めたアパートで、
母に隠れて2週間泣き続けた結果、
これは私の宿命なんだと思い、泣くのをやめました。
私を強くしたきっかけの1つです。


高校卒業するまでは、金銭面でとても苦労しました。
父が、養育費を払えなくなり、親戚から、「高校を辞めて働くべきだ」
「通信制の高校に転入すべきだ」「携帯は解約しないといけない」などと言われました。
でもその時は高校3年生です。大切な友人も、思い出もあります。
絶対に後悔すると、これだけは曲げられないと自分の思いを
言い通し、親戚にわがままと影で言われようが、卒業を決意。
私はアルバイトを始め、おかずが1種類になっても我慢、
ドンキ米大歓迎だ!と
言い聞かせる。
母の収入と祖母にも助けてもらいながら、やっとのことで卒業できました。


卒業後は、働きながら通える専門学校を選択。
学生生活をまだ新しい友人と送りたい、学びたいとの想いが強すぎて、
就職は選びませんでした。入学金免除の試験を受け入学できたものの、
奨学金をいまだに返しています。来年でやっと終わる・・・(涙)
でも後悔は全くしていません。


在学中に曾祖母の介護が始まり大変でしたが、
とても楽しい学生生活でした。