波瀾万丈家族!^_^

前向きに生きる、私の家族の話と日常です😊

ひーばあの話。

私の曽祖母の話です。


ひーばあは、共働きだった、両親に代わり、
子どもの頃、私を預かってくれました。
一人っ子でしたが、一度も寂しい思いはした事は
ありませんでした。
たくさん遊んでくれたのですが、いつも全力。
とても負けず嫌い。。。
オセロやトランプ、人生ゲームも、
全てボロ負けました。
子どもに手加減なし!


わがままばかりを言っていたマイペースな私。
弱音を吐くことが大嫌いで、いつも家中で動いていたひーばあ。
私達は、対照的で、口喧嘩はしょっちゅうでした。


喧嘩した内容で覚えている話があります。
「からいものが食べたいな」というと、間違えて、
蒸した芋(から芋)がでてきました。
え!!と唖然としていると、更に、足りないの?と
たくわんが出てきたのを覚えています。
そして、そういう意味じゃないんだって〜お菓子とか!スナックとか!と
怒っていたのを覚えています。
たくわんは、好きだったので、その後食べました。


そしてもう一つは、私が冷蔵庫を何度も開けるので、
注意すると、「なんで食べ物が届かないんだ」と怒ったそうです。
その後、ひーばあが不思議に思って、母に相談。
母は、「なんで冷蔵庫を何度も開けようと思ったの?」と聞くと
私は、「好きなものが、冷蔵庫に
送られてくるはずなのに・・・なんで届かないの?」と。
あほです。どらえもんを信じていたようです。
一人っ子だからそんな事言えたんでしょうね。


そんな言い合いをしていた曽祖母も
89歳で亡くなりました。
自宅で眠るように。


認知症になると、
家から突然出て行き、
どこに行ったのか分からなくなり、
みんなで探した事もありました。
首に住所、名前を書いたカードを
かけていましたので、その時は非常階段にて、
無事に発見しました。


88歳頃には、要介護5という診断を受け、
歩く事も困難になり、食事、排泄も出来なくなりました。
私は、近くのアパートで母と住んでいたので、
家族全員で、交代で介護をする事に。
救いだったのは、母が介護士をしていたので、
中心となって、排泄等はしてくれました。


介護が始まり、2人きりで過ごす日がある時、
ひーばあは、最後歩けなくなっても、
キッチンまで足を引きずり、
ガスコンロの火をつけようとしていました。
ご飯をだすと、誰も座ってない席に「どうぞ」と話しかけたり、
昼寝をしたと思って一息つくと、寝返りを打って、にこ~^^と笑って、
こっちを向き「はよ寝なさい^^」と言ってきたり。
家族全員の名前も顔も忘れても、愛に溢れた人でした。



本音を言うと、学生時代は少し、
友達と旅行に行ったり、遊びたかった気持ちはあります。


みんな必死でしたので、遊びたいなど
何も言えませんでした。
なのでここに書かせてください。



でも、子どもの頃、育ててくれた曾祖母に、
少しでも恩返しはできたかな。
後悔はなかったかな。
気持ちよく天国に行けたかな。
棺に入り、眠る曾祖母を見た時、そう思いました。





それから12年たちますが、
いまだに、実家に帰るたび、仏壇に話しかけて、
感謝の気持ちを伝えています。